こんこん…
蓬生の部屋を軽くノックするが、中からの反応はない。
「…蓬生?」
小さな声で名を呼びながら、もう一度ノックするが、結果は同じ。
普段ならここで引き返すか、もしくはメールをして居場所を確認するけれど、今日のあたしは…ドアノブへ手を伸ばして、鍵がかかっているかを確認していた。
「開いた…」
静かな廊下に、かちゃ…という音が妙に響く。
隙間から部屋の電気が洩れていることから、彼がいることは明白だ。
そっと体を滑り込ませて、扉を閉めると、思わずホッと一息洩れてしまった。
「…だ、誰も気づいてない…よね」
お世話になっている菩提樹寮は、男子と女子の部屋の行き来が通常禁止されている。
だから今、自分がしていることは違反…でもあるのだ。
「〜〜蓬生が、悪いんだもんっ」
免罪符のように呟いてから、目的の人物を探そうと周囲を見回すと、それはすぐに見つかった。
「蓬生…」
久しぶりに見た幼なじみ兼恋人である蓬生は、着流し姿でソファーに深く座ったまま目を閉じている。
起こさないよう近づいていけば、読みかけだろうか。
膝の上にある本のページが窓から入る風でぱらりぱらりと揺れていた。
どきどきと高鳴る鼓動は、なぜか呼吸のためわずかに開いている彼の口元を見た瞬間、どくんと大きく音を立てた。
それを堪えるよう、胸の前でぎゅっと自分の手を強く握る。
「…どうしよう…」
ここへ来るきっかけともなったことが、思い出したように脳裏を駆け巡る。
「蓬生、の…ばか…」
昼夜問わず、愛情を示すかのように毎日キスをしてくれた。
でもそれが、ここ三日間一度もない。
星奏の人たちがファイナル目前で忙しいというのもあるけれど、それよりも忙しい日が続いた時ですら、キスをくれない日はなかった。
一瞬の隙とでもいうのか、よく思いつく…というくらい、頻繁にキスしてくれていたのに、それが、全くない。
「…ばかぁ…」
握った手に自分の爪が食い込んで、視界が涙で歪みそうになる。
こんなにも、蓬生が好きなんだと。
こんなにも、蓬生を求めているんだと。
それが、自分をここまで動かすんだと…初めて、気づかされた。
眠っている相手に、こんなことをしたと知れたら、変な子だと思われてしまうかも知れない。
ううん、それどころか規則を破って、勝手に部屋に入ったことで…もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。
でも、それでも…抑えられない。
――― 蓬生…
握っていた手を開いて、その手をソファーで眠る蓬生の両脇へ移動させる。
音もなく沈んでいく手は、身を乗り出したあたしの体重を支えているから。
そしてそのまま、あたしは眠る蓬生の唇に自分のそれを重ねた。
「…ん…」
いつも蓬生がしてくれるように、ちゅっ…と軽く重ねる。
それだけ、のはずだった。
でも、それだけじゃ…足りないと、心が、身体がいう。
ぎゅっと口を結んで、もう一度…今度は、押しつけるように唇を重ねた。
いつも当たり前のように感じていた唇が、今はなんだか違うもののように感じる。
触れれば触れるほど、蓬生に飢えていた心が満たされる感覚。
「ん…」
押しつけていた唇を離し、何度かついばむようにキスしていると、蓬生の瞼が微かに震えた。
「…ん…」
息を飲んで至近距離で硬直したまま、蓬生の様子を伺っていたが、再び寝息が聞こえてきたので、ホッと胸をなで下ろす。
ふと唇を見れば、わずかに白い部分がある。
相手の意識がないことにどれだけ大胆になっているのか、恐る恐る舌を出してぺろりと彼の唇を舐めてみた。
疲れているからか、少し荒れている部分が舌にあたり、それがまた蓬生だと認識させて自然と口元がゆるむ自分は馬鹿かもしれない。
ミルクを飲む猫のように2、3回唇を舐めてから離れると、妙に艶やかな唇になってしまった。
「ぅ…」
着流し姿で、さらりと流れる艶やかな髪。
長い睫は閉じられていることで顔に影を落とし、薄く開いた唇はわずかに濡れて光っている。
それを見て、もっと…と欲する自分と、これ以上はダメ…と止める自分がいる。
初めての感情の波に頭も心も、そして身体もついていけず、ついに目から涙が溢れだした。
「あ…」
涙が零れ落ちるとほぼ同時に、眠っていたはずの蓬生が目を開け、困ったような表情で口を開いた。
「…堪忍な。イジメすぎたわ」
固まっていたあたしの手を掴むと、眠っていたとは思えない素早い動きで位置を反転させられる。
ばさり…と音を立てて、蓬生の膝に載っていた本が床に落ちた。
「ほ…」
彼の名を呼ぼうと開いた口は、あっと言う間に塞がれる。
今まで蓬生がしてたキスとは全然違う。
勿論、自分がついさっき彼にしたようなキスとも違う。
「っふ…」
顔の角度を変えて、押し付けるられる唇。
熱い舌で唇を辿られると、その感触に身体が大きく震える。
そのまま口を閉じていると、ねじ込まれるように舌が咥内に進入し、逃げようとする舌すら絡めとられた。
「っぁ…」
絡めとられた舌を吸い上げられると、腰からしびれるような感覚に襲われた。
なにがなんだかわからない。
でも、ただひとつわかるのは、蓬生が…キスしてくれているということ。
ソファーに押しつけるよう身体を沈められ、何度も何度も…それこそ、唇が腫れちゃうんじゃないかってぐらい、キスされる。
「っぁ…ほ、せ……」
「あかん…て」
酸素を求めるため、微かに唇が離れた瞬間名を呼ぼうとすると、それを遮るためにキスされる。
何度も音を立てて唇にキスされるだけで、身体がおかしくなる。
そんな自分が怖くて、おかしくなりそうで、小さく首を振って抵抗する。
「やっ…だ、め…」
ぼろぼろこぼれる涙を、蓬生が舌で掬いとる。
その動きに、また身体を揺らしてしまう。
「やぁ…」
「…いやよいやよも、好きのうち…いうやろ」
「ち、がっ…」
「……わかっとう。これ以上あんたをいじめたら、俺の方がキツいわ」
音を立てて頬にキスをすると、そのまま頭を抱えるようにぎゅっと抱きしめられる。
「や、やぁっ…」
「これもあかんの?」
こくこくと首を縦に動かすと、その動きが蓬生の服とすれて身体を痺れさせる。
その感覚に耐えきれず、隙間から蓬生へ視線を向け訴える。
「さ、さわっちゃやだっ」
「………うっわ、そないな目ぇでそんなこと言われたら、離しとうても離せんわ」
「だっ、て…だって…」
「あぁ、わかっとう。あんなキスしたら、そうなるんも当たり前…というか、なってくれんと俺が困る」
触らないでと言ったが、蓬生はまるであたしの顔を見ないようにするかのようにさらにきつく胸に押しつけた。
「あんたをジラしたらどうなるか思うただけやったのに…こんなことになるなんて、はぁ…自分で自分の首、締めてしもた」
「…?」
「寮じゃなくて家やったらなぁ…」
「???」
頭上でぶつぶつ呟かれる意味はわからないが、とりあえず色々謝らなきゃいけないこととか、聞かなきゃならないことがあるはず。
「…あの、蓬生」
「あかん…もう暫くこのままおって。せやないと、俺…千秋や芹沢くん…あー下手したら、他の学校の人に明日、やいのやいの言われても構わんって気ぃになる」
「なんか、したの?」
「はぁ………本当、キッツイわ…」
頭上からの盛大なため息が耳元にかかり、思わず小さな声を上げてしまう。
その声が今まで聞いたことがないような声で、凄く驚いたけれど、寧ろそれに反応したのはあたしじゃなくて、蓬生の方だった。
「痛っ…」
「あかん…も、朝になったら絶対車出そ」
「蓬生、くるし…」
まるで押し潰されそうなくらい抱きしめられ、蓬生の腕の中で息をするために暴れる。
「蓬生…っ…」
「あー……はよ朝になればええのに」
僅かな隙間をぬってなんとか呼吸する空間を確保して、素朴な疑問を尋ねてみた。
「車出すって、千秋とどこか行くの?」
「阿呆言わんといて…と行くに決まっとう」
「あたし…?」
「…そ、あんたと、二人きりで。あー…温泉行こか」
「温泉…」
「……………最近構えんかったから、その分、たっぷり可愛いがりたいんよ」
「…いいの?忙しいんじゃないの?」
「ええも悪いも…このままじゃ、俺がもたん。それとも、は嫌なん?」
ほんの少し緩められた腕。
まだ自由にはなれない身体だけど、力の抜けた手で蓬生の衣の袖をぎゅっと握る。
「嫌じゃない!嬉しい!!」
「…俺も、あんたと二人きりでゆっくり出来て嬉しいわ」
こめかみに落とされたキスは、まだほんの少しくすぐったいけれど、渇いていた心はすっかり満たされた。
「蓬生大好き」
「俺も、のこと…好きやで」
でも、この時のあたしは気づかなかった。
普段は冷たい蓬生の手が熱を持っていること、そして彼の声がホンの少しいつもと違うということを。
ベタ甘…めっちゃ甘…とにかく、甘っ!
ただ単に、女の子もキスしたい時があるよね…そしたらどうなるかなって感じで書いた。
そしたらえらい方向へ行った…という、オチ。
2010/11/17